前回は9月9日23:48参照
ホストクラブに入店するように勧められたが、元の世界に戻ってこられない気がして、ホストになることはなかった。
映画の撮影も終わり、気がつけば2006年6月。
日本はドイツW杯で一色だった。
オーストラリア戦での中村俊輔選手のゴールに興奮し、田吾作に電話したのを今でも覚えている。
東京に出てきてからも、田吾作やエビス丸との交流は続いており、学校が休みの日は相変わらず連れだってパチスロを打っていた。
上京時は金に余裕のあった田吾作とエビス丸だったが、パチスロで負けが込んで金が尽き、パンク寸前。
一方の、俺は真・モグモグ風林火山で2回の万枚獲得等もあり、相当余裕があった。
学校が休みの日には有名な美容室に通ったり、表参道でブランドを買い漁ったりと、思い切り東京を満喫していた。
但し、パチスロの打ち方はというと、イベント狙いをするわけでもなく、ただ漠然と打ってるだけだった。
吉宗の後継機として導入された秘宝伝ではストック切れしながらも伝説ロングで4000枚。さらに、昼過ぎに適当に座った北斗の拳が設定6で5000枚等々。
相変わらず根拠もなく運だけで勝っていた。
俳優を目指すモチベーションも高く、日々練習に励み、様々な舞台も良く観に行ったりしていた。
しかしながら、本格的に演技の勉強をしていくにつれ、自分に実力がないことにも気づいていくのだった。
東京に出てきて、プロの現場で仕事をすることにより、その現実を受け入れざるを得なかった。
そんな中、幼馴染みとの遊びは一番の現実逃避だった。
しかし、2人はパンク状態。田吾作は生活費すらギリギリ、エビス丸に至っては俺の金でタダでパチスロを打とうと目論んでいた。
そんな状況だったので2人にお金を貸すなんて事もしばしばあった。
そして2006年7月…。
「北斗の拳」の後継機「北斗の拳SE」が導入される事を知る。
どうやら4号機の検定が切れ、5号機機時代が来るらしい。
それまでの1年間「北斗の拳SE」が新たに導入されるという事だった。
専門学校も夏休みに入り、田吾作、エビス丸も静岡に帰るというので、俺も便乗して帰る事にした。
東京に残り、演技の練習をしたいという気持ちもあったが、「俳優になれればいいな」という漠然とした気持ちしかなかったのだろう。
そして2006年夏、北斗SEが導入された!
つづく…。
出典: パチマガスロマガ「決死のパチスロサバイバル日本縦断編5」内の不定期連載「夏目血風録」(2013年9月15日(日) 掲載)。 本文は当時の掲載どおりで、書き換えていません。