僕、夏目五郎がスロプロになったのは二十歳、成人式の頃です。俳優を目指して上京して、挫折して、パチスロで貯金を溶かしてどん底になって、横浜で勝ち方を知って、仲間ができて、その仲間が全員いなくなって。残った選択肢が「一人でスロットで生きていく」でした。
俳優志望の19歳、東京でどん底になる
高校卒業後、俳優になるために東京に出てきました。でも俳優の学校では友達がほとんどできなくて、学校生活に夢中になれなかったんですよね。
それで結局、昔からの友達とつるむようになって、その友達がパチンコ・スロットを一緒にやってた仲間だったんです。新宿とか渋谷の店で打ち始めるんですけど、当時の僕は天井も設定判別も期待値稼働も、マジで何もわかってない。イベント狙いもしてないからマルハンで北斗の拳を打っては負けて、上京時に持っていたお金がどんどん減っていく。学校もうまくいかない、俳優もうまくいかない、金も減る。19歳の時はすごいどん底に落ちましたね。
依存症っぽくなって、張り紙をしても止まらなかった
正直に言うと、この時期の僕はパチスロ依存症っぽくなってました。行かないと落ち着かない。勝てないのに焦って、ガセの出玉イベントに騙されて鬼武者でボコボコにされる。
やめようとはしたんですよ。スロット禁止のグッズを買ったり、マンションの出口に「パチスロをやめる」って張り紙をしたり。全然効果なかったですね。意志で止めようとしても止まらないんですよ、ああいうのは。
これはヤバいと思って派遣の日雇いに登録して、倉庫の軽作業に行きました。真面目なんでめっちゃ頑張って、体中筋肉痛になって、休憩は数分でギリギリまで働かされて。何より、そこで働いている人たちの活力のない空気がきつかった。「俺には無理だな」と思って、続けませんでした。この経験はでかいです。「雇われて消耗する側には戻らない」という基準が、ここでできたので。
横浜に呼ばれて、人生が変わった
転機は友達の一言でした。横浜に住んでる友達から「こっちの状況マジでやばい。全リセで高設定確定みたいな店がある。来た方がいい」と連絡が来たんです。それで横浜に行った。これが結構でかかったですね。
僕が住んでた西葛西周辺は状況が良くなくて、ぼったくり店みたいなのしかなかった。でも横浜は告知がめちゃくちゃ派手で、設定が入りまくってた。そこで初めて「設定6を打てば勝てるんだ」「こういう台を狙えば勝てるんだ」というのが体でわかったんですよ。
朝の抽選、並び、情報の取り方。店の「最強」「究極」みたいな告知が全部本物じゃないことも含めて、実戦で覚えました。ガセ混じりの情報でも、それでも勝てましたね。エヴァンゲリオンやデビルメイクライが出てきて設定判別のブームが来た頃には、小役カウントで設定を意識する打ち方も身についていきました。
腕が上がったんじゃなくて、環境を変えたから勝てるようになった。ここは強調しておきたいです。同じ僕でも、西葛西では負け続けて、横浜では勝てた。場所の選択がスキルより先なんですよ。
軍資金を出す側に回って、グループで攻めた
横浜で資金ができた時、友達2人はあまりお金がなかったので、僕が軍資金を全部出して3人で立ち回りました。分配は僕が50パーセント、2人が25パーセントずつ。リスクは僕が全部負う代わりに、一番おいしい立場も僕。
イベントの時は友達がさらに同級生を呼んでくれて、5人6人のグループで攻めてました。当時のホールは軍団だらけの戦国時代でしたけど、それぐらいの人数がいれば設定を持てたんですよ。
でも、この形は崩壊します。2人がお金を持つと「自分で打ちたい」となるんですよね。それでグループが分裂して、みんなピンで打つようになった。2人は甘くないんで負けて、1人は実家に帰って、もう1人とも揉めて疎遠になって。僕は一人になりました。それがちょうど二十歳の成人式ぐらいです。
残った道が「一人でスロプロ」だった
専門学校にはもう行っていない。俳優は諦めた。親には「これからどうするの」と言われる。貯金はある。横浜で実際に勝てるようになっている。そうなった時に、僕は「スロットで稼いで生活していこう」と思ったんですよね。
かっこいい決断じゃないですよ。他にやることがなかったというのもあるし、そもそも普通に働きたくなかった。でも「実際に勝てている」という事実だけはあった。だから成人式の後に引っ越して、完全に独立して一人でやっていくことになります。
夢に挫折して、依存症になりかけて、仲間もいなくなって。それでも手元に残った「勝てる根拠」を頼りに次へ進む。僕の人生はだいたいこのパターンでできてます。
よくある質問
Q. 何もわからない状態からどうやって勝てるようになったの?
A. 環境を変えたのが一番でかいです。状況の悪い西葛西では負け続けて、設定の入る横浜に移ったら「設定6を打てば勝てる」が体でわかった。勉強より先に、勝てる場所に行ったことが転機でした。
Q. パチスロ依存っぽい状態はどう抜けたの?
A. 張り紙やグッズみたいな意志の力では止まりませんでした。抜けられたのは、勝ち方を知って「負ける打ち方」をする理由がなくなったからです。意志じゃなくて、状況が変わって抜けました。
Q. グループ稼働って儲かるの?
A. 軍資金を出す親の立場なら、僕が50パーセント・打ち手が25パーセントずつの分配で一番おいしかったです。ただし打ち手がお金を持つと独立したがって崩壊します。長くは続かない形ですね。
Q. スロプロになる決断に不安はなかった?
A. 横浜で実際に勝てていたので「やっていけるんじゃないか」と思えました。根拠のない夢じゃなくて、目の前の実績で決めた感じです。あとは普通に働きたくなかったのが本音です。